毎年、夏になると戦争について考えさせれます。
今年は、天皇制度について大きな改革があったことからも特に意識が高かった。
そうした事からも、書店でドーンと宣伝されていた「昭和天皇物語」という漫画を読んでみました。
只今、四巻まで刊行されています。
大変興味深い内容に、花も集中して読んでいる様子でした。
今後、歴史を勉強する際に…特に戦争と天皇については外せませんから、この漫画で少しは視野が広がるかな?
1巻:昭和天皇の幼少期から学生時代
昭和20年(1945年)。
終戦御、連合国軍最高司令官ダグラス・マッカーサーとの面談から始まります。
昭和天皇の幼少時の名は迪宮(みちのみや)。
弟宮として淳宮(あつしのみや)、光宮(てるのみや)がいます。
迪宮が5歳の頃に教育掛として抜擢された足立タカとの出会い、母のように慕っていく様子が描かれています。
なぜなら、この頃の皇室では生まれた子供は里子にだされていたから。
迪宮裕仁親王は、「命名の儀」を終えた2か月後、生後70日で里子(川村純代伯爵邸)に出されたというのですから驚きです。
迪宮が10歳の頃、迪宮は学習院初等科に入学。
皇族・家族の子弟から選ばれたクラスに入ります。
そこで、明治天皇から迪宮の為にと任命された乃木希典院長と出会い、さまざまな事を教わります。
この乃木希典さんは日露戦争などを指揮した軍人。
明治天皇が亡くなると、その後を追うように自刃してしまいます。
大正天皇が即位後、迪宮は弟宮と離れて東京の高輪御所に住まいを移します。
この頃の迪宮様は常に一人ぼっちの状態。
母親の皇后(節子)が弟の淳宮ばかりかわいがり、迪宮には目もくれていなかったからです。
迪宮は初等科を卒業すると、迪宮の為だけに作られた高輪東宮御所に進学します。
学友は5名。
週末になるとそれぞれの家に帰ってしまい、迪宮はやはり一人。
しかも、皇太子ということで皆が遠慮しています。
楽しそうに腕相撲したり、名字で気軽に呼び合っている学友たちの姿に、迪宮は自分の身分から同じように接してもらえない寂しさを感じます。
その事をタカに漏らしてしまうなど、皇太子であるがための苦悩がそこかしこに見られます。
普通の男の子として生きられない昭和天皇の寂しさが、読んでいて伝わってきます。
2巻:タカとの別れと皇后との出会い
2巻では、母のように存在の足立タカさんが10年という長いお勤めを終え、海軍少将の鈴木貫太郎と結婚。
最後のあいさつ時に、木戸孝正に個人でつけていた養育日記と、次の方への「こころえ」を置いていきます。
この内容が愛情いっぱいで、家族と離れなくてはいけなかった昭和天皇の支えになっていたんだなぁと思うほど。
一方、裕仁皇太子(昭和天皇)は、自分の行動や感情を出すことで誰かを傷つけてしまう事や、多くの国民が国や天皇の為に死んでいく状況を実感していきます。
「朕は国家なり」ですね。
この頃、近視が進行して見えにくくなっているのですが、「天皇が眼鏡をかけるなんて!!」と反対されたのにびっくり。
結局、部下の一人が強硬手段に出て作っちゃいますが、人々の前では眼鏡禁止。
うーん…私らの印象では眼鏡姿なんだけど、この頃はダメだったなんて!?
また、この頃はまだまだ昔の思想が受け継がれており、「天皇の祖先は、神話の神様だ」なんてね。
だから、講師の方が「猿です」と言うのに注文付けたり。
大正5年に「立太子の礼」がおこなわれ、皇太子であることが公に告げられます。
ひと段落すると、今度は后探し!
政治的な思惑から切り離すためにも、皇后が積極的に動き、学習院女学院に通う久邇宮邦彦王第一王女良子との縁談を決めていきます。
も~
この良子さんがとても良いお嬢さん。
朝、誰よりも早くきて便所掃除を自主的にやったり、お付きの人のために地図を作ったりと優しい。
1巻ではあまり良いイメージがない皇后でしたが、人を見る目は高い。
まぁ、良子さんの人柄を調べるために、日記を勝手に読んでいるのはどうかと思いましたが…。
皇后様は、政治や軍人などへの観察眼も高く、キャリアウーマン並みの機動力と思考力をもつ最強の方です。
それというのも、天皇陛下の病状が芳しくない事が関係しているよう。
米騒動などの社会情勢の不安定から内閣総理大臣の寺内正毅が辞職して原敬が出てくるなど、当時の政治状況もちらほら。
3巻:原敬による欧州外遊の提案
久邇宮良子さんとの婚約が内定したものの、島津家には色弱の遺伝子を持つ疑いがあるとして、山縣が強固に反対を押し通します。
なぜなら、当時(1909年)の陸軍では、色覚に異常がある場合は現役将校に採用しないという方針があったから。
そのため、生まれてくる子ども…つまりは皇子が、大元帥になれない可能性があるという事からでした。
婚約破棄の動きは皇后や裕仁皇太子の耳にも入り、裕仁皇太子が内密に動きます。
婚約騒動がひと段落した頃、原敬首相から欧州外遊を勧められます。
この話に、皇后は「陛下が大変な時に…」と渋りますが、当の天皇陛下は大賛成。
なぜなら、天皇陛下も欧州外遊に行きたいと思っていた時期があったのですが、明治大帝から激しく反対されて行けなかったからです。
陛下の「裕仁には私の夢を叶えてほしい」という言葉に、皇后も了解をせざるを得ません。
他にも欧州外遊について良く思っていない人たちはいたのですが、大正10年(1912年)3月に無事、出発。
最初に寄港したのは沖縄。
沖縄は、これまで天皇の一族の誰一人として訪れた事がない土地。
裕仁皇太子が初でした。
沖縄の次は香港なのですが、不安定な情勢の為、裕仁皇太子に似た替え玉を車に乗せ、本物の裕仁皇太子は自由に香港の待ちを動くといった“おとり作戦”で乗り切ります。
本物の裕仁皇太子は、車に乗ってお付きの者2名と共にヴィクトリアピークに向かうのですが、そこでうまれて初めての『自由』を体験し、裕仁皇太子に大きな影響を与えていくことになります。
4巻:欧州外遊
4巻では、欧州外遊での裕仁皇太子の様子が描かれています。
様々な国を訪れ、そこでさまざまな価値観や情勢を吸収していきます。
また、生まれて初めての『自由』を満喫。
地下鉄に乗りたいといってこっそり出かけたり、エスカルゴが食べてみたいと、その無茶ぶりを付き合わされる竹下勇中将がなかなか大変そうでした。
珍田供奉長に見つかったら大変ですから。
外交面では、英国王室での普通の家庭のようなあたたかな対応に、裕仁皇太子は激しく感銘を受けます。
付き添っていた吉田茂は、「天皇陛下に即位されたら皇室の改革をなさいませ」と助言するほど。
これが、のちの皇室の育児が変わるきっかけになったのかな。
また、英国のジョージ5世から「戦争は風景も経済も破壊する」と、戦争についての悲惨さを聞いていた裕仁皇太子。
第一次世界大戦の激戦地であるイーペル戦場跡を訪問した際に、王の言葉通りであったと戦争について身を持って体感します。
さらに、エジンバラ古城を訪れた際には、予定のない日々を満喫。
晩さん会では、上下の区別、国の区別なく誰もが手を取り合って楽しく踊る姿に、「アソール公その人、およびその生活は貴族の模範でした」と、強烈なカルチャーショックを与えます。
欧州外遊は当初の予定よりも長引くのですが、その事を皇后は良く思っていません。
ずっと感じていた裕仁皇太子への気持ちを、弟の淳宮にこぼす場面もありました。
普通の親子ではいられないからこその感情もあるのかなとか、いろいろと想像してしまいました。
裕仁皇太子が欧州外遊している間の日本では、原敬が裕仁皇太子の帰国に合わせた摂政設置を着々と推し進めていました。
なぜなら、天皇陛下の病状が芳しくないから。
「陛下の…このような状態が続けば、停止してしまいます!」と、摂政設置に嫌悪感を表す皇后に土下座をするほど。
摂政設置は、辞令・布告・発令のすべてにおいて天皇陛下の署名が必要であり、これがなければ国家機能が停止しまうから。
ただ、この頃の原敬首相の支持率は低下していてピンチな状態。
原敬首相は東京駅で暗殺されてしまいますが(暗殺シーンは5巻かな?)、その犯人像についても描写されています。
原作は半藤一利さんの「昭和史」
「昭和天皇物語」は、作画が能條純一さん、原作(「昭和史」)が半藤一利さん、脚本が永福一成さん、監修が志波秀宇さん。
小学館「ビッグコミックオリジナル」にて連載されています。
原作の「昭和史」をベースに、文献資料や当時の新聞などを補強材料として描きながらの創作部分もあり。
建物や服装などは国会図書館で調べ、皇室の内部については撮影されているものがないので、能條純一さんがイメージして描いたのだそうです。
驚いたのが、昭和天皇を題材にマンガを描くことに、宮内庁へ確認連絡を入れていないという事。
宮内庁からのリアクションもなしという話にも驚きです。
昭和天皇は、日本軍トップの軍人として育てられた唯一の天皇。
これまでの天皇とは違い、波乱万丈すぎる人生…まさに、激動の時代に生きていました。
なにせ、“神様”と崇められていたのが、普通の“人間”になるといった、大きな転換期ですからね。
他の歴史人物とは一味違うドラマ。
天皇家という特殊な立場。
そのしきたりや葛藤などが知れ、歴史的出来事もまた違った目線で見れるのではないでしょうか。
天皇目線での歴史的背景も大変勉強になります。
5巻ではいよいよ原敬さんが暗殺されてしまうのでしょうか!?
裕仁皇太子も帰国し、天皇陛下の病状も気になるところ。
今後の展開に注目です。