五代将軍・徳川綱吉が創建!儒教の祖・孔子を祀る「湯島聖堂」

朝から早起きして御朱印&上野公園散歩へ。

今年初の参拝なので、背中に感じているモヤモヤを取っ払うためにも喜び勇んで出発です。

最初に目指すは、菅原道真公が祀られている湯島天満宮!

…だったのですが、近くに神田明神もあるということで、急きょ御茶ノ水駅で下車。
さらには、駅近くにある湯島聖堂に先に行く事に。

湯島聖堂は、元禄3年(1690年)に五代将軍徳川綱吉公が、儒学の振興を図るために創建。

大成殿(たいせいでん)殿内の中央・神龕(厨子)には孔子像。
左右には四配として孟子・顔子・曽子・子思の四賢人が祀られています。

 

文京区湯島にある湯島聖堂は、孔子廟や昌平坂学問所跡を含む史跡です。

1690年に、五代将軍・徳川綱吉の命令によって建てられて、元々儒学者である林羅山の屋敷内にあった孔子廟と朱子学の学問所を、規模も大きくここに移転。

徳川綱吉は、孔子廟を大成殿と名付け、正面に掲げる額の字を自ら執筆までしています。

 




 

次第に廃れてしまうものの、1797年、幕府が昌平坂学問所として管理・再興します。
そして明治初期には文部省、さらにはお茶の水女子大や筑波大学の前身となった大学も置かれるようになりました。

1922年(大正11年)に国の史跡に指定され、1923年(大正12年)に発生した関東大震災で大きな被害を受けます。

再建されたのは1935年(昭和10年)。
鉄筋コンクリートで、江戸時代の様式はそのままに再建されました。

そうしたことからも、湯島聖堂は日本近代教育発祥の地とも呼ばれています。

 

湯島聖堂への入り口は仰高門(ぎょうこうもん)。
この名は、孔子の論語から名前がつけられたそうです。

孔子銅像へと続く道と大成殿へと続く道の分かれる場所には、楷樹(かいじゅ)が植えられています。
楷樹は孔子の墓所にも植えられている樹木で、その枝や葉が整然と伸びていく姿から「楷書」の語源にもなったのだとか。

ひときわ目を引く孔子銅像は、1975年(昭和50年)に中華民国台北市(台湾)のライオンズクラブから寄贈されたもの。

高さ4.57m・重さ約1.5tと巨大!
子牛像としては世界最大だそうです。

 

階段を上った先にあるのが、湯島聖堂に残る唯一の木造建築物であり、1704年に建築された入徳門。
朱子学の祖である朱熹(しゅき)の「大学章句序」から名付けられたそうです。

その先にあるのが、間口20mに奥行き4.7mもある入母屋造りの大きな門・杏壇門(きょうだんもん)です。

杏壇とは中国にある孔子の遺址をいい、教授堂跡だったと伝えられています。
宗の時代に孔子の遺址が整えた際に、周囲にアンズの木を植えたことからそう呼ばれるようになったとか。

杏壇門脇には、合格を祈願した絵馬がズラリと並んでいます。

 

そして、大成殿。
孔子を祀る廟で、宋の時代に中国に作られた孔子廟、大成殿にならってつけられました。

間口が20メートル以上の入母屋作り。
中には孔子廟の他、孟子・顔子・曽子・子思の4賢人の像が祀られています。

中を見学するには入館料が必要。
孔子の教えを記載した鉛筆なども中で販売されています。

 

湯島聖堂は、中国風の建物なのが特徴です。
それというのも、朱子学が儒教の教えを元にした中国発祥の学問だったから。

儒教の祖・孔子を祀っていることからも、大成殿は中国風。
再建された大成殿は、その後の太平洋戦争による空襲被害は受けず、当時のままに残されているのですからすごいですね。

異国情緒満載の場所だけに、中国の歴史絵巻に入り込んだような雰囲気を味わえます。
その独特の雰囲気と建物から、ドラマ「西遊記」のロケ地にもなっているほどです。

 

御朱印は、入り口の仰高門近くにある社務室で。

湯島聖堂では、毎年4月の第4日曜日に「孔子祭」、毎年11月23日に「神農祭」が行われています。

機会があれば、是非その時期に訪れてみたいものです。

 

にほんブログ村 受験ブログへ




コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です