江戸時代の天才浮世絵師!コミック版・世界の伝記「葛飾北斎」

葛飾北斎についてわかりやすいマンガ、コミック版・世界の伝記「葛飾北斎」。

小学校の教科書でもお馴染みの、江戸後期の天才浮世絵師・葛飾北斎の生涯について描かれた学習漫画です。

北斎と言えば、「富嶽三十六景」「富嶽百景」や、北斎ブルーといった独特の色や技法がヨーロッパの有名な画家にも影響を与えた事で有名。
また、数々の破天荒なエピソードがあることでも知られています。

そんな北斎の生涯をわかりやすく紹介。
歴史文献をもとに、漫画として再構成。
監修はあの「すみだ北斎美術館」というのですから、その内容も本格的です。

 

北斎の活動地域と主な関係人物

「コミック版・世界の伝記」では、まずはその人物が活動した地域がざっくりと紹介されます。
葛飾北斎は、名古屋・小布施・江戸で活躍していたと。

葛飾北斎自身の顔の絵はこれ↓

葛飾北斎さんに娘さんが何人かおり、その娘さんのうち「葛飾応為(かつしかおおい)」として絵師として活躍した方がいたと知ったのもこれ。
びっくり。

 

葛飾北斎の生涯

葛飾北斎は幼少時の名は、時太郎。
1760年、武蔵国本所割下水(今の東京都墨田区)で、御用鏡師の跡取り養子として幼少期を過ごしました。
錦絵に憧れ、様々なものを描くのが大好きな少年でした。

養子から実家に戻された北斎は、13歳には名を「鉄蔵」と改め、貸本屋の丁稚として働きます。
そこで描いた本箱がいい宣伝になり、仕事の傍らに絵を描く北斎の姿に、貸本屋の旦那さんが絵師に近い仕事・版木彫を紹介してくれます。

彫り職人としての才能はあったものの、そこで絵師になるきっかけはつかめず、数年後には辞めてしまいます。

 

その後、人気浮世絵師に勝川春章に弟子入り。
すぐにその腕を勝川春章から認められ、「勝川春朗」と画号をつけてもらいます。

ちなみに、当時のこれは大変な特別扱いで、兄弟子の勝川春好にひどく反対されたほど。
その後も確執が残るほど。

絵師としてスタートした北斎は仕事に励み、「岩井半四郎かしく」や「忠臣蔵討入」「新板浮絵両国橋夕涼花火見物之図」などを世に出していきます。

 

ところが、1782年に起こった「天明の飢饉」から贅沢が禁じられるようになり、そんな政策を批判するような小説や浮世絵を厳しく取り締まるようになると北斎の生活も一変。

絵が描けなくなったことから北斎は七味唐辛子などを売って生活をしていたところ、版元の蔦屋重三郎と出会い、本の挿絵などの仕事が入るようになります。
それをきっかけに再び絵への活動が高まり、勝川派だけでなく他派や外国の技法を積極的に学ぶようになります。

そんな中、勝川春章が亡くなった事で、兄弟子の勝川春好との仲も最悪な状態に。
波紋に近い形で勝川一門から離れることになります。




 

北斎は宗理派で数年学んだ後、「北斎辰政(ほくさいときまさ)」を号して独立。

当時(江戸時代)では、後期ヨーロッパにおいて日本の浮世絵が注目されており、ヨーロッパの画家たちに大きな影響を与えていました。
それは日本の絵師たちも同様で、北斎もヨーロッパの文化に興味を持ち、西洋海外風の様式を取り入れるほど。

1804年、北斎が44歳の頃には江戸音羽(今の東京都文京区)護国寺の境内で大きな達磨の半身像を描き、ますますその名を高めます。

 

北斎は読本と呼ばれた小説の挿絵も多く手掛けており、特に戯作者の曲亭馬琴の作品の挿絵を受けていました。
「新編水滸画伝」や「鎮西八郎為朝外伝椿説弓張月」など、北斎が手掛けた読本は10年で190冊にものぼるそうです。

さらに、「酔余美人図」や「潮干狩図」など肉筆画も多く手掛けています。

 

北斎の家庭生活はあまりわかっていないのですのが、絵師の南沢等明に嫁いだお栄も絵を描いており、北斎の仕事を手伝う事もありました。

入門希望者が増えたことから、自分の絵を描く時間を確保するためにも絵手本を作成。
それが、あの有名な北斎漫画でした。

 

絵師としての仕事は充実していましたが、67歳の頃に中風(脳卒中)になり手足が動かしにくくなってしまいます。

が、奇跡的な回復で翌年には作品を出版。
69歳の頃には、写生の旅へと出かけます。

それがきっかけで完成したのが、北斎の代表作となる富士山をさまざまな構図で描いた錦絵シリーズ「富嶽三十六景」シリーズ。
さらに「諸国瀧巡り」や「諸国明橋奇覧」などの風景錦絵シリーズを次々に出版。

迫力ある構図とベロ藍と呼ばれる藍色で大人気に。
錦絵の世界に風景画という新しい分野を生んだ瞬間でもありました。

北斎は様々な土地に旅し、信濃国小布施(今の長野県小布施町)にいる北斎の弟子であり支援者の家にたびたび滞在していました。
ここで屋台天井絵「鳳凰図」「龍図」「女浪図」「男浪図」などの大作を残しています。

80歳には江戸・向島の牛嶋神社に横幅3メートルはある「須佐之男命厄神退治之図」を奉納と、その勢いが衰えることはありませんでした。

が、1849年4月。
北斎は江戸・浅草で、89歳の生涯を閉じます。

 

資料でわかりやすく解説

最後には、葛飾北斎にまつわる資料がまとめられています。

北斎が生きた時代の動向なども一緒にわかる年表もあり、日本の歴史全体の流れで見れるのがいい。

さらに、葛飾北斎の名言集も。

 

時代ものの漫画作品が多数あり

漫画を描いている「ちさかあや」さんは、他にも「狂斎」「豊作でござる!メジロ殿/原作:原恵一郎先生」を連載中。

さらに過去作には「早雲の軍配者/原作:富樫倫太郎先生」「豊饒のヒダルガミ」 と、時代物を得意とされているようです。

狂斎」は、幕末から明治にかけて活躍した稀代の天才絵師・河鍋暁斎の話。
売れない絵を描き、酒に酔い潰れる生活をしていると、奇妙な蛙が住み着くようになります。
葛飾北斎とのつながりがあり、幼少期に絵の心得を示してくれたとか。
ただ、史実の暁斎とはかなり異なるお話のようです。

豊作でござる!メジロ殿」は、幕末の農村を舞台にした、郡奉行メジロが農書片手に農業のトラブルを解決していく農業ミステリー漫画。

早雲の軍配者」は、北条早雲に見出された若き軍配者・風摩小太郎を主人公にした話。
原作である富樫倫太郎さんが書く軍配者シリーズ3部作の1作目。

豊饒のヒダルガミ」は、天保の大飢饉を舞台にした、『ヒダルガミ』と呼ばれた男とその一行の旅を描く伝奇物。
ダークファンタジーでしょうか?

昔の民衆の生活を描いた作品などは読んでみたいなぁ。
特に富樫倫太郎さんのは気になります!

 

葛飾北斎の作品は、今もいろんなところで見る事ができます。

遊びアートの中にも気軽に取り入れられたりと、民衆に愛された作品として今も変わらず愛されているのはすごいことだと思います。

これぞ日本!
って感じの北斎作品。
奥が深いです。




 

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